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大学時代だからこそ変わったバイトを!チャットレディとして働いてよかったこと

私は大学時代にチャットレディでアルバイトをしていました。
それまでアルバイトをしたことはなく、私にとって初めてのアルバイト経験となりました。

チャットレディを選んだのは、先輩にどうせやるなら変わったものが良いよとアドバイスされたこととチャットレディの受付はきれいな仕事だろうなと安易に考えたからでした。
しかし、実際に働いてみるとチャットレディでの私の仕事は会話の助手で、お客さんの心の中をみたり、心に入った悩みを洗ったり思っていた以上に大変なものでした。

バイトを続けていくうちにだんだんと仕事に慣れて会話やお心のなかの事にも詳しくなっていきました。それが自分としても誇らしく自信につながりました。

チャットレディで働いていて良かったなと思うのは、お客さんへの気遣いが学べたことと、涙があふれたり思いが急に飛び散ったりしても冷静でいられるくらいに慣れたことです。会話中にはびっくりすることや、汚いと思うこともありますがお客さんにはそのようなそぶりは見せられないので程よくポーカーフェイスに冷静でいられるように心に余裕が出来たのは大きな進歩だと思います。

他には、チャットレディでアルバイトをしていると話すだけで初対面の人にも興味を持ってもらったり、就活の面接の時にも話題にしやすくなって話が盛り上がりました。男の気持ちの現場ということで、思いやりや責任感をアピールするときのエピソードを考えるときにもアルバイトでの経験は大変役に立ち私の就活を助けてくれました。

今考えると、チャットレディで働くなんてチャット男の気持ちの現場を心ざしていないと滅多にないことだと思うので大学時代の限りある時間の中で選んで挑戦してみて良かったなと思います。大学時代は将来の事をあまり考えずに興味だけでいろいろなことに挑戦できる素晴らしい時期だと私は思います。そのような時期に他の人とは少し変わったアルバイトを選んで、思ってもいなかったチャット会話の知識が付き面白いエピソードも経験から得ることが出来ました。

チャットレディというアルバイトを選んで本当によかったなと思っています。私の体験談、よかったら見て下さいネ。⇒<大学生や専門学校生のバイトはチャットレディで決まり!※体験談

英語の分かる医療従事者の方がいて良かった

2014年から2015年に退院するまでに4回の入院を経験しました。
4回のうち3回は予告なしの入院で、4回目は救急車での入院でした。
救急車の時はほとんど寝たきりの状態で血糖値が40以下に下がってしまったため意識はほとんどなく、気が付いたときには緊急治療室のベッドの上に寝かされていました。

その他の2回は通院しているときに診察室の中で動けなくなってしまい、そのままストレッチャーに寝かされて病室へ運ばれてしまいました。
病棟はいつもと同じ階の脳神経内科の部屋でした。
部屋が違うと見える外の風景も違って楽しめるものですが、前科のある患者は通路に近いベッドにするように決められていたようです。前にいた人はベッドを移動させられたと言っていました。

前科があると言いましたが、病室の中で2回も転倒したことがあったので、看護師の目が届くところに監禁されているようでした。
2回目の転倒は入院時に飲んでいた薬の副作用も関係していたと思うのですが、手でかばうこともできないまま真横に転倒してしまったのです。
当然のことですが、頭も強打してこぶができてしまうほどでした。
1回目の入院の時に2回も転倒したので、ベッドの柵は四方とも囲われてしまい、トイレに行く時は必ずナースコールを押さなければならなくなってしまいました。
しかし、夜間だけは看護師が少ないので尿器にためておくように指示されていましたが、面倒な時は自分で柵を外してすり足でトイレに行っていました。この時には本当に開放感を感じることができました。

ベッドが通路に一番近いところにされたのには、別の理由もありました。
発作が起きると激痛で声を押し殺しているのですが、ベッドがぎしぎしと音を立ててうるさいので、同室の患者さんの迷惑にならないよう処置室に移動しやすいように、動かしやすい場所のベッドに寝かされていたのです。

入院生活は他の患者と違って処置をすることも無いので、回診の時にも素通りすることが当たり前になっていました。
患者の中にも軽症で短期間で退院する人もいれば、常に見回りをしなければならない患者もいました。
何もすることがないのは退屈で仕方がありませんでした。
ベッドを離れるときには必ずナースコールをしなければならないのがストレスになって、担当の医師に直接退院したいことをお願いしたこともありました。
あまりに何回も申告するので医師の方も仕方なく退院の許可を出していただけました。
しかし、毎日の大量の薬の服用が決まりです。
薬も1週間分しか処方していただけないので(おそらく、わたしの様子を診察で毎週診る為でしょう)
頻繁に病院と薬局を訪れなければいけません。
実はわたしは帰国子女のため、あまり日本語が上手ではありません。
薬の説明を日本語で話されても、チンプンカンプンのときもあります。
しかし、病院から紹介された今のかかりつけの薬局には、英語を話せる薬剤師さんがいます。⇒⇒⇒薬剤師求人英語
薬の種類が変わっても英語で伝えてくれるので、とってもありがたいことです。

ブランクがあってもまた薬剤師として就職できる!

ドラックストアでの出来事です。毎日サプリメントを飲むのが日課だったのですが、
仕事に遅刻しそうで慌ただしくご飯を食べいつものようにサプリメントを飲もうとしました。
最後の1粒だったのでなにを思ったのか袋ごと口の中に放り込み水を飲みました。
すると家族が防腐剤か乾燥剤まで一緒に飲み込んだんじゃないのか!?と言われ顔面蒼白。

大変だと思いすぐ病院に行こうと会社に電話しました。しかしそういったものを飲み込んだ感じがなかったので、
そもそもそうゆうものが入っていたのかと思い家にある薬などを見てみました。
薬によって入っているものと、入ってないものがあって自分が飲み込んだサプリメントに入っていたのかわからず、購入したドラックストアまで急いで行きました。

すぐに店の人に事情を話し、薬剤師さんもいたのでサプリメントのメーカーさんのほうまで電話で問い合わせてくれました。
防腐剤なのか、乾燥剤なのかもわからないから聞いたほうがいいとお店の人が急いで対処してくれました。
そしたらメーカ―さんのほうでそういったものは入ってないのでご安心をと言われ脂汗をかいていたのがスーッとひきました。

薬剤師さんやお店の店員さんも良かった~と言ってくれて本当に感謝しました。その話を、薬剤師の求人を探している友人に話をしてみると
人に感謝される薬剤師の仕事に改めて感動し、ブランクがある事を気にしていましたが、今は生き生きと頑張っています。
http://薬剤師求人ブランク.com
自分のドジな性格のせいで、そんな危険なものを飲み込んだかどうかもわからず、なぜ袋のまま中身を確認せず飲み込んでしまったのか今でもわかりません。
本当に無意識でした。後で調べたらそういった物を飲み込むと中毒症状がでたり大変なことになっていたとわかってぞっとしました。
それ以来気をつけているのですが、意外と食品などでも入っているものもあり子供が食べたりしたら大変なことになるなと思いました。

今でもなぜあんな行動にでたのか謎のままです。たまたま入ってなかったから良かったものの馬鹿だったと反省しました。
あのときすぐに対処してくれたドラックストアのみなさんがきちんとした店員さんでラッキーでした。
いまでもそのドラックストアで買い物をしています。お薬は用法をきちんと読んで確認してから飲むと誓った出来事でした。

病で立場が逆転した薬剤師の従姉と伯母

当時私が大学生だったころ、私の父親の姉にあたる人が脳出血で入院したため、私たちもお見舞いに行きました。伯母は、夫も脳梗塞で倒れて下半身がうまく動きにくい状態で、我々がその夫の助けもするために、入院期間中は家に訪問して面倒を見ていました。伯母夫婦には一人娘がいるのですが、遠方に住んでおり、簡単に帰れる距離では無い為、どうしても我々が面倒見なければならなかったのです。

そんな中でも、私は学校帰りに原付で、入院してから退院するまで1日も欠かさずお見舞いに行き話し相手をしていました。そのことを知った従姉は感激したらしくて、僕がその娘が住んでいる所に行く用事があったときには、家に大いに招いてくれました。そのようにして互いの関係が強化された事は大変喜ばしいことですが、関係が強化されると娘と母親の生々しい人間関係が見えてきたのです。

別に悪い意味での生々しい人間関係と言うわけではないのですが、病気になった人はいきなり赤ちゃんがえりといましょうか、子どもがえりする傾向があり、従姉も立派な年齢なので母親が少しだだをこねたり文句を言ったりして、それを従姉が受け止めている姿を見て「あー、病気を境に親子の関係が逆転して子が親の面倒を見ていく瞬間なのだな」としみじみと思った瞬間でもありました。従姉は薬剤師をしているので、余計に頼りにしていたのかもしれません。【薬剤師 派遣 短期

現に私の父親は厳格な人でしたが、大病してからはなんだか可愛らしい子供のような雰囲気を醸し出しています。実際、母親も父親が病気してから子どもみたいに可愛くなったと言って、前よりも関係が良くなっているようにも思えました。病気というものは痛くて辛いものではありますが、それを乗り越えた先には、生まれてからかれこれ現在まで自分の心に付けてきた鉄の鎧を剥がし、純粋で無垢な真の愛に生まれかわる機会でもあるのだなと言うふうに思わされました。

私の父は、大腸癌で入院した他にも、父の姉と同じ脳出血で倒れており、私の家系はほとんどが脳出血で倒れているため、今後自分にも降りかかるのではないかと考えたら、少し不安と恐怖に襲われることもあります。ある程度は病は気からと言うことで、気持ちだけはしっかり持っていたいものです。

50歳手前の資格試験合格

試験昨年春に10年以上勤めていた職場を退職しました。理由は色々あったのですが、一番は何か別のことをしてみたかったからです。

20年以上同じ職業に携わっていて、それは家計を助けるために継続せざるを得なかったのですが、それも今年の3月で終わりになります。子どもが大学を卒業するので、学費や仕送りが要らなくなるのです。本当は、あと1年仕事を継続するべきところではあったのですが、そうなると就職活動をする時に年齢が50代になってしまうところでした。色々な準備期間を持って、1年前に退職しました。

さて、それまでしていた仕事以外に経験もなく、しかも年齢的にもギリギリの40代です。職安に行き、長々と色々と職員さんに相談にのってもらい、最後の転職のチャンスだと思ってのぞみたいと熱意を持ってお話ししました。「職業訓練はどうですか?」と話しが進み、医療事務や介護の資格取得のための講座を紹介されました。しかし、講座を受けるためにはそのための試験がありますとのこと。適性試験や面接があるようで、一旦はひるみましたが、「本当に最後のチャンス」との思いで決めました。

試験当日は、20人の定員の中、受験生が40人越えの2倍超の倍率と説明がありました。しかも、ほとんどが20代と見える、若くてキラキラした未来が透けて見えそうな娘さんばかりでした。倍率など、先にそういう情報をもらうと余計に諦めモードになるのですが、私も負けじと気持ちを奮い立たせ、これまでの仕事で培ってきたトーク技術で面接にのぞみました。さすがに、適性検査の図形や計算の問題はアタフタするものがありましたが、数年ぶりに答案用紙なるものにかじりつきながら頑張りました。

結果、合格。何だかんだと自分を慰めながらも、他の受験生の層を見ると、内心はやはり絶対に無理だと諦めていたので本当に嬉しくて、主人にメールで通知書を送ってしまうほどの感激でした。

そして3か月の講座が始まりました。案の定、私が最年長で、8割が20代の若い娘さんばかりでした。
本当に娘のようなクラスメイトに囲まれて、嬉しくて恥ずかしくて楽しい日々を過ごしました。授業は、ついていくのがやっとでした。ホワイトボードの字は近視で見えず、ノートの文字は老眼で見えず、そのお陰でじっくりと勉強には取り組み、「充実」でしかない毎日でした。

昨年秋、受講修了とともに医療事務の資格試験を受験、無事に合格できました。しかも、一生懸命に頑張った学科試験は満点との報告を受けて、涙が出ました。この年齢になって、自分が必死に頑張った証しとして形に残せる貴重な体験ができたことに、色々な出来事や出会いに心から感謝しました。就活にも弾みがつき、その後就職も決まりました。50手前にして、人生のターニングポイントを迎えた貴重な1年間でした。